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谷中七福神巡り 2015
修性院、別名花見寺の布袋さまはとても大きくてびっくり!



見応えがありました~!
江戸中期の作で荒川区の文化財に指定されてます。



次はすぐお近くの青雲寺。



恵比寿さまです。



最後はちょっと離れて田端駅近くの東覚寺。



ここからスタートする人も多いので、ご朱印待ちの行列で30分位かかりました。



福禄寿さまです。





護摩堂の前の一対の仁王像は、赤紙仁王。
赤紙を体の悪い所と同じ場所に貼って身代わりになっていただくのだそうです。



全身が赤紙で覆われてしまって、元のお姿がわかりません~。

こちらの東覚寺では甘酒のお振る舞いがありました。
沢山歩いた最後にご褒美をいただいたようで嬉しかったです~。

何だかせわしなかったけど、これで七福神巡りコンプリートです。

帰る途中、通り掛かりの延命地蔵菩薩さまにもお参りして終了といたしました~。

| 歴史もの | 16:47 | comments(0) | - | pookmark |
谷中七福神巡り 2015
そうそう、谷中七福神巡りはこの和紙に判を押して貰って廻ります。



変形のB4サイズなのですが、ペラペラの和紙なので、持って歩く間に
シワにならないように細心の注意が必要になります。

この和紙が、1000円!
あとはお寺ごとに判を押してもらって200円。 合計で2400円ですね。
御朱印帳に押して貰うと一寺300円のようでした。

できれば和紙じゃなくて色紙の方が扱いも楽だし、飾るのにも都合がいいと思うのですが〜〜。

なぞと思いながら歩いていると、田端駅近くの東覚寺から南下コースで来る人達とそろそろすれ違い始めます。



地名が谷中になって、お寺がやたら沢山あり、猫ちゃんの姿も。

長安寺。



寿老人さまです。



アップも。



七福神巡りの人達が沢山行き交うので、次のお寺まで迷わず行けます~。

次は毘沙門天の天王寺。



毘沙門天さまはちょっと遠くてよく見えません。





この天王寺は、屋内で休憩できるスペースときれいなトイレがあります。
寒い中を歩くのでありがたいです~。

次は、別名花見寺といわれる修性院。
大きな布袋さまがいらっしゃいました~。
| 歴史もの | 14:20 | comments(0) | - | pookmark |
谷中七福神巡り 2015
新春の恒例行事となった七福神巡り。
今年は江戸最古の七福神巡りと言われる谷中の七福神巡りです。



距離的にはJR上野~田端まで。
せっせと歩けば所用3時間半くらいかな?

上野不忍池弁天堂が一番混みそうだったので、朝早めに出かけて弁天堂の弁財天からスタートしました。

朝9時頃の弁天堂。
まだすいてますね。



寒いけど風がない晴天なので、七福神巡り日和です。



弁財天さまはちょっと遠くてよく見えません~。

こちらではお守りなどいろいろ販売していたのですが、この先のお寺でもあるかもと購入しなかったら、その後のお寺では欲しかったお守りがなかったので後悔しました。
見つけたら買わないとダメですね〜。

弁天堂のお向かいにある清水観音堂。



動物園通りを北に歩き、



この煉瓦造りの建物、以前、ぶらタモリで紹介してましたね。
確か古い印刷所だったとか...?



森鷗外旧居跡、水月ホテル鷗外荘をすぎ、右に曲がると大黒天の護国院です。







立派な大黒天です。
大黒天の後ろには徳川家光公から贈られた大黒天の絵が飾られています。
こちらの護国院は築290年の歴史があるそうです。



次は寿老人の長安寺へ向かいます。
| 歴史もの | 09:39 | comments(0) | - | pookmark |
南麻布坂めぐり・・・白金高輪〜麻布十番
 白金高輪の魚藍寺にお墓参りした後、南麻布の坂を散策してみました。

「日本坂道学会」副会長のタモリさん曰く、江戸から現代にかけて
建物や景観は大きく様変わりしてしまったけれど、坂の勾配だけは
そのまま残っているそうで、江戸の面影をたどるのには最適なのだとか・・・。

桜田通りを古川橋交差点で左折、明治通りを少し行ったところ、四の橋を
右折すると、薬園坂(やくえんざか)があります。
江戸時代前期、坂上に幕府の御薬園(小石川植物園の前身)があったことが
名前の由来だそうです。  別名 役人坂
左の建物はイラン大使館です。



少し登って振り返るとこんな感じ。  ↓



途中、左に折れる細い坂道があったので、曲がってみました。 ↓



下がってまた上ると、本村小学校の脇に出たので、外周を回って奴坂へ。
本村小学校の北側を東西に通っている坂道です。
残念ながら標識を撮りそびれてしまいました。

薬園坂の上、本村公園を左折して少し行くと、仙台坂上の交差点に出ます。
坂の南側にかつて仙台伊達藩の下屋敷があったことからその名がつきました。



仙台坂上の交差点を元麻布に向かって少し行くと、安藤記念教会があります。
新緑の季節になるとツタに覆われるのでしょうか?
ステンドグラス、教会の中から見てみたいです・・・。



麻布十番へ降りていくこの坂は、一本松坂というようです。
中央に見える松が坂名由来の一本松です。



そのまま下っていく坂は大黒坂になります。
左側に大黒天(港区七福神のひとつ)を祀る大法寺があるのが由来です。



途中にも標識がありました。 ↓



由来も書いてあります。  ↓



こちらは 七面坂。  ↓
大黒坂の下から西側に下る坂です。
坂の東側に七面大明神を祀る本善寺(後に五反田へ移転)があったために
ついた名前だそうです。



大黒坂上に戻り、
一本松坂下と大黒坂上で交わっているのが暗闇坂です。  ↓
一本松坂下を左に折れて下りていきます。

昼でも暗いほど樹木が生い茂っていたという・・・ちょっと今でも
雰囲気がありますネ。



暗闇坂を少し下って、先を見た様子です。麻布十番方向です。  ↓



大黒坂下にある賢崇寺(けんすうじ)の白梅。
急な坂道のりっぱな参道があるお寺で、佐賀鍋島藩の菩提寺だそうです。



麻布十番の宮内庁御用達のお煎餅やさん、「たぬき煎餅」  ↓
「他抜き」ともいうそうで・・・なるほど 



創業1865年という、豆菓子のお店、「豆源」さん。  ↓
すごく沢山、いろんな種類の豆菓子があります。



いつも混雑の鯛焼きやさん、浪花家総本店さんは、鯛焼き30分待ちでしたぁ!


都内には、沢山の坂やお寺が残っていて、とても興味深いので、
これからも折を見てあちこち訪ねてみたいと思っています。



| 歴史もの | 09:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
旧東海道 品川宿を訪ねて・・・  四
 品川橋を渡ると、「是より南 南品川宿」の高札が立っています。



向かい側には、何やらレトロな建物が・・・。
交番みたいな印象ですが、使われてはいないのでしょうか・・・?



もとはお店だったのでしょうか?
閉まっているようですが、壊されちゃわないとよいのですが・・・。



上げ下げのフランス窓がおしゃれな洋風建物のお医者さん。




品川寺(ほんせんじ)  (毘沙門天)。




尚、いただいたパンフレットによると、
「東海七福神」は、元旦〜1月15日の間に参拝でき、
参拝記念の色紙に印をいただいたり、各寺社で七福神の像を
いただいて、宝船を作ったりできるようです。

青物横丁駅からまた、第一京浜(国道15号)を渡って、
仙台坂を上って大井町駅に戻ります。

この木造の大きな建物は、
旧伊達家下屋敷跡の仙台味噌醸造所です。
中には、とても大きな味噌樽が見えます。
伊達政宗公が、江戸在勤の伊達藩士のために
仙台味噌を作らせたのが始まりだそうです。




今度はお正月に「東海七福神」めぐりで再訪するのもいいですね。
その時は、三浦屋さんの天丼もしっかり戴きたいと思います 



| 歴史もの | 11:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
旧東海道 品川宿を訪ねて・・・  参
また、旧東海道に戻って、 虚空蔵横丁を入ると養願寺(布袋尊)があり、
近くには、また赤レンガの塀があります。
位置的には、正徳時の裏になります。



右に入ると、北品川公園の前に「小泉長屋」と呼ばれる区域があります。
江戸時代に小泉屋金左衛門が建てた長屋があった所で、地割りや路地は
当時とほぼ同じで、独特の景観を保っている数少ない場所のひとつです。
井戸もいくつか残っていて、現役で使われているものもあります。
この辺り、以前、NHKの「ブラタモリ」っていう番組でタモリさんが
歩いていたところですネ。



推定樹齢400年といわれる大きなイチョウの木が印象的な法禅寺。



楚々とした白い花・・・よく見たら、一重のバラでした。



天ぷらの「三浦屋」さん。
おいしそう〜!と、並ぼうとしたら、Pua Nani の直前で
「本日は終了」・・・。 
「逃した魚は大きい」じゃないけど、お品書きの写真がすごくおいしそうで、
とっても心残りなお店でした。
(なにやら、ちょっと前にTV で紹介されたのだそうです)




品海公園。 ここあたりがちょうど日本橋から二里だそうです。




創業150年の丸屋さん。 下駄などの和装履物屋さんです。
この建物は明治の終わり頃築。 
それまでに3回火事にあって建て直しているので、
「どうせまた焼けるのだから適当な家でいい」と建てたのが、
震災も戦災も乗り越えて今に至っているそうです。
とてもりっぱなHPがあって、6代目さんのブログもあります。

右隣は、菅沼書店。



一心寺。(寿老人)
江戸時代末期に大老井伊直弼によって建てられたお寺です。



山手通りを過ぎ、品川橋に戻って、今度は南品川を歩きます。

  
                             ・・・つづく



| 歴史もの | 17:32 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
旧東海道 品川宿を訪ねて・・・  弐
 国道15号(第一京浜)を渡って、目黒川沿いに海側へ歩くと、
右手に海徳寺。



赤い鎮守橋を渡ると、荏原神社があります。



東海七福神のひとつ、「恵比寿さま」が祀られています。





次の橋が「品川橋」で、この道が旧東海道になります。
江戸の面影はあまりありませんが、道幅は当時のままだそうです。
橋を左折して少し行き、北馬場通りを戻ると、国道沿いに
品川神社があります。



画像の左側にブルーシートが見えますか?
あれは,富士塚「品川富士」なのですが、3月の東日本大震災で崩れてしまい、
立ち入り禁止になっていました。
毎年7月1日には「山開き」が行われているそうですが、今年は
どうなるのでしょうか?

東海七福神「大黒天」が祀られています。



「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」という、赤いのぼりが立っていました。
何が「一粒」なの? と調べたら、
「一粒の籾(もみ)が何倍にも実って稲穂になる」という意味で、
宝くじを買ったり、口座を開設したり、開店したりなどによい日なのだそうです。





北馬場通りを、また、旧東海道に戻りましょう。

                              ・・・つづく
| 歴史もの | 17:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
旧東海道  品川宿を訪ねて・・・  壱
 梅雨入り前のそこそこお天気な一日、旧東海道の品川宿あたりを
訪ね歩いてきました。

まずは、大井町駅から「ゼームス坂」を下り、京浜急行の新馬場駅方向へ
向かいます。

  *ゼームス坂の由来
     英国人ゼームスは、明治政府に招かれて海軍省に入り、
     航海術や造船技術を指導しました。
     当時住んでいたこの地は、坂が急で住民が苦労していたので
     私財を投じて勾配を緩やかにしました。
     それにちなんで、以来、この坂を「ゼームス坂」と呼ぶように
     なった、ということです。

途中、「ゆうれい坂」なる表示あり。
なんのことはない細い坂道ですが、江戸の時代は暗くて
ちょっと恐かったんだろうなぁ、と想像をかきたてられます。

坂を下りきった右側に 「馬頭観音」



つきあたりから目黒川までのエリアには、海蔵寺、天龍寺、
清光寺、本光寺、大龍寺、清光院など、お寺が沢山。

天龍寺の塀は、由緒ありげなレンガ塀です。
お寺にレンガ塀は珍しいですよね。





こちらは、海蔵寺。 別名「投げ込み寺」
天保の大飢饉(1833〜1840頃)で亡くなった人や
鈴ヶ森で刑死した罪人、身寄りのない飯盛り女の遺骨などが
葬られた「首塚」があるので、俗に「投げ込み寺」とも
よばれました。




本光寺。



今の時代、お寺などの敷地はどんどん狭くなって、往時の面影をさがすのが
難しい所も多いのですが、緑の多い境内はホッとしますね。



こちらは 本光寺の三重の塔。



大龍寺への参道。



参道の手前にあるこの謎の段差はなんでしょう?
何か歴史的な謂れがあるのかしら?
ちょっと気になりました。



目黒川。
桜の季節はほんとに見事なんですよね!




国道15号(第一京浜)を渡って川沿いに歩いていくと
いよいよ旧東海道に出ます。
    
                         ・・・つづく



| 歴史もの | 14:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
両国 回向院 高札めぐり  その七(最終回)
両国の高札めぐりもいよいよ最終回になりました。
梅雨入り前にスタートしたのに、今は初冬・・・。
ずいぶん引っ張ってしまいました。
最後を飾るのは? (15)回向院です。



回向院は、10万人以上の犠牲者を出したといわれる明暦の大火(振袖火事)
の犠牲者を弔うために4代将軍徳川家綱が建立しました。
ほとんどが身元不明だった犠牲者の菩提を弔うために念仏堂が建てられ、
「有縁、無縁、人、動物に関わらず、生あるものすべてのものへ仏の慈悲を説く」
という理念のもと、「諸宗山無縁寺回向院」と名づけられました。
境内には、明暦大火の供養塔の他に、海難供養塔、動物供養塔、大相撲の
歴代相撲年寄りの慰霊のために建立した「力塚」などがあります。

回向院の境内、鼠小僧次郎吉のお墓の隣に、猫塚があります。
(30)猫の恩返し(猫塚)



病気になって働けなくなった魚屋のご主人のために、商家からお金を盗んで
使用人に殺されてしまった猫を供養しています。
実在したネコのお墓として、貴重な文化財だそうです。

お隣の鼠小僧次郎吉のお墓は開運のパワースポットとして、
墓石を削って持ち帰る人の行列が絶えません。



今、回向院の正門は京葉道路沿いにありますが、戦前までは西側にあり、
両国橋からまっすぐ参道がつながって、先にご紹介した「与兵衛すし」も
このあたりにあって繁盛していました。
(25)回向院正門跡



回向院建立のきっかけとなった明暦の大火(振袖火事)は、
ロンドン大火、ローマ大火と並んで世界三大大火のひとつに数えられているそうです。
江戸市中の6割以上が焼土と化したこの火事の原因は、
3人の若い娘を次々と死に追いやったいわくつきの振袖を、供養のために
燃やそうとしたことからでした。
本郷の本妙寺というお寺の住職がこの振袖を火の中に投げたところ、
突然、突風が吹き、燃える振袖が本堂に飛び込んで燃え広がり、
江戸中をまたたくまに火の海にしてしまったということです。

回向院の正門すぐわきに、(16)旧国技館跡 があります。



明和5年(1768年)に回向院境内で初めて勧進相撲が行われ、その後春秋の
二場所興業となり、明治42年(1909年)旧国技館が完成するまで、お相撲は
回向院の境内でずっと続いていました。
なので、旧国技館は回向院の境内にあったのです。



旧国技館は、東京駅などを手がけた辰野金吾、葛西万治の設計で、
ドーム型の巨大な傘のような屋根が特徴的で、「大鉄傘」と呼ばれていました。
老朽化のため、昭和58年(1983年)解体されましたが、現在跡地に建っている
両国シティコアビルの中庭には、当時の土俵の位置をタイルで示してあり、
綱のオブジェが往時を偲ばせています。

さて、回向院を後にして、京葉道路を東へしばらく。
お江戸両国亭(寄席)の近くに (17)伊藤宗印屋敷跡 があります。



11世名人の伊藤宗印がここに屋敷を構えていました。
Pua Nani は、将棋のことはよくわからないので、以下省略。
伊藤宗印の弟子の関根金次郎は、戯曲「王将」で有名な坂田三吉
と対局して破り、坂田がプロに転向するきっかけとなった・・・と、
ガイドブックに書いてあります。

京葉道路の両国駅側、一本入った通りに (18)榛(はんのき)馬場跡 があります。



本所に住む武士たちの弓馬の稽古のためにこの辺りに馬場がつくられていました。
まわりを囲む土手に大きな榛の木があったことからそう呼ばれ、馬場の
傍らに祀られていたのが榛稲荷神社でした。
勝海舟の父、小吉の著書に子どもの頃の回想として榛馬場が出てくることから、
勝海舟も幼少期にはここで弓馬の稽古をしたのではと伝えられています。




やれやれ、長い間、「高札めぐり」におつきあいいただいて
ありがとうございました。
ちょんまげ・刀の江戸時代って、なんだか遠い昔のような観念でいましたが、
こうして両国をめぐって江戸の痕跡を訪ねてみると、ほんの150年前、
3代くらいさかのぼれば江戸時代だったんだ! って、実感できて、
江戸がとても身近に感じられました。



それにしても、
歴史を訪ね歩くうちに、度重なる大火や震災や戦災で
どれほど多くの貴重な文化財を失ってきたかを思い知らされました。
仕方のないことだったのかもしれませんが、本当に残念です。
せめて今後は「人災」によって失われることのないように、
「歴史」にもっと一層の敬意を払っていけたら、と願っています。

| 歴史もの | 11:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
両国  回向院まで  高札めぐり  その六

さてさて、高札めぐりもいよいよ終盤戦です。

吉良邸跡から少し南に行くと (43)本因坊屋敷跡 があります。



囲碁といえば「本因坊」ですが、本来は信長・秀吉・家康に仕えた
日海(一世本因坊算砂)を開祖とする名門の家系の名前だったんですね。
世襲制で江戸期を通じて著名な棋手を多数輩出しましたが、
現在は実力制に変わり、争われるタイトルのひとつとして名前が残っています。

本因坊屋敷跡から相撲の大島部屋の前を通り、少し西へ行くと
(42)塩原太助炭屋跡 があります。



塩原太助(1743〜1816)は、裸一貫から身を起こし大商人になった、当時の
有名人だったようです。
私財を投じて道路改修や治水事業などを行った人柄が慕われ、
その生涯は、芝居や講談、浪曲の題材にもなったそうです。

吉良邸裏門のすぐ近くに (32)江東義塾跡 があります。



高札は飲食店?の軒先にあって、ちょっと見つけるのが大変でした。
文豪夏目漱石は、大学予備門(一高)の学生だった時、ここにあった
私立学校「江東義塾」でアルバイトの英語教師をしていました。
午後2時間、英語を教えて、月5円。
結構暮らしていける金額だったそうですよ!

大島部屋の前の道に戻り、少し西へ行くと (39)相生町跡 があります。



嘉永5年(1852年)の本所絵図によると、一之橋から二之橋東側にかけての
堅川沿いが相生町。
この辺りには、俳人小林一茶がしばらく住んでいたそうです。
「相生」と対をなす「尾上」町は、旧両国橋の東詰めあたり。
堅川の向かいには「千歳」町があり、おめでたい地名がつけられています。

回向院の西側、一之橋通りには (26)元町跡 (27)与兵衛すし跡
(28)料亭「井筒」 があります。



元町は、現在の両国一丁目。
この一帯で最初に開かれた町屋なので、元町といいます。
世に言う振袖大火では10万人もの焼死者が出たそうですが、
その犠牲者が眠る回向院へ墓参に向かう人々で、
両国橋から回向院への通りはおおいに賑わいました。

今、お寿司といえば江戸前の握り寿司ですが、この形を考案したのが
小泉与兵衛といわれています。
200年前までは、お鮨は大阪風の押し鮨だったんですね。
与兵衛は、岡持ちにお鮨を入れて売り歩き、屋台での立ち食いから、やがて
文政7年(1824年)に回向院参道近くに「華屋」という屋号の店をかまえ、
昭和の初めまで大いに繁盛したそうです。

料亭「井筒」は、小説「鬼平犯科帳」に登場する架空の料亭で、
このあたりにあったとされています。
主人の嘉兵衛は、実は裏社会の元締め・・・という設定です。



(29)大徳院は、回向院のすぐ近くにあり、今は本堂の再建待ちで
ありがたみ皆無のプレハブ住まいです。



でも、高野山を開いた弘法大師の大と徳川家の徳をとって「大徳院」ですから、
実は高野山金剛峰寺の諸国末寺の総触れ頭として、とても由緒あるお寺なのです。
ご本尊の薬師如来は「本所一ツ目の寅薬師」といわれ、眼病治癒にご利益があると
信仰されています。


次回は、やっと回向院にたどりつきます。
いよいよ最終回です!


| 歴史もの | 15:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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